タイ・バンコクから東南アジアでの仕事や生活、日本人の東南アジア現地採用、日本について考えるブログ

2014/06/15

選択を正解にするには。

普段ぼんやりと生活しているとあまり意識しないけれど、
人の一生には絶対に終わりがあって、その終わりに毎日着実に近づいている。

限られている時間を何に、どんな風に使いたいのかを日々意識していないと、後々「こんなはずでは無かった」となりそうで怖い。

ふとした瞬間に
「自分が今タイに居ることは正しいのだろうか」
「今の時間の使い方で良いのだろうか」
「他に自分に向いている仕事や生き方があったのでは」

と思うことがある。
一度考え出したら数日間、なかなか止まらない。

迷ったとき、亡くなった友人をよく思い出す。


親しかった友人が亡くなってから約半年が経った。
色々な話をした仲。日本で仕事をしていたときからタイでの就職活動時、またタイで仕事をし出した後も、親身になって相談に乗ってくれていた恩人。

膵臓癌だった。彼の当時の年齢は33歳。

深夜や休日も返上してかなり働いていた、超仕事人間。
製薬会社で、新薬の開発をしていた。

仕事のキツさを時々こぼしながらも、誇りを持って懸命に働いていた。
「人の役に立ちたい」というのが、仕事への大きなモチベーション。
彼のお父さんが癌で亡くなったのをきっかけに、癌の治療薬の開発を仕事としていた。
そんな彼も癌…

病気が発覚してから亡くなるまで、早かった。半年ちょっと。
癌がまわるスピードが予想よりかなり早かった。
体調が良くない日が続いていたのに、なかなか病院に診察を受けに行かなかったのが悔しい。

病気の体で仕事をするのはキツい、だからと言って仕事は続けたい。
そう思った彼は、同じ業界の、前ほどは忙しくない他の会社に転職した。
病気のことは社内の誰にも言わなかったらしい。

しばらくの間通院しながら通勤していたけど、病気は悪化する一方。
仕事をするのがかなりしんどくなって、会社を辞めた。

入院し、抗がん剤治療が始まった。
嘔吐や慢性的な体の怠さなど、かなり辛そうだった。
それでも彼は「完治させる」という目標を諦めなかった。
「治ったら次は外資の製薬会社でチャレンジしたい、国内の製薬会社だと出来ることにどうしても限りがある」と言い、治療の合間に英語の勉強をしていた。

しかし彼の想いとは裏腹に、癌は確実に、予想以上の速さで進行していった。

「もっと仕事がしたい。」
闘病中、彼はそう言った。

病気と格闘しながら、将来に向かって、またバリバリ仕事をすることを夢見て毎日を丁寧に、懸命に生きていた。

「粋に生きる」ことをモットーとしていて、弱音はほどんど吐かなかった。
亡くなった後、彼の弟さんが「兄さんは本当にかっこよかった。最後の最後まで弱音を吐かなかった。皆が悲しまないように、冗談を言って周囲を笑わせてくれていた。」と言っていた。


真剣に、周囲に優しく生きようとする、人生に対する彼の姿勢を本当に尊敬する。

どんな状況に居ても、人は100パーセント満足することはなく、
「これでよかったのだろうか」
「他に良い選択があったのではないか」
と悩むものだと思う。

過去の選択は決して変えることの出来ない事実。
それなら、悩む前に選択を可能な限り「正解」にする努力を最大限すべき。
彼に相談したら、きっとそんな答えが返ってくるんだろうなぁ、と思った。

そのためには自分の役割を、目の前にある仕事を、丁寧にきちんとこなすことから始めないと。

私も「粋に」生きよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿